奥多摩オートバイ伝説:「最速のドゥカティとは?」
私はいままでに水冷4バルブLツインデスモを搭載した
スーパーバイクを数台ほど走らせてきた。
そこでその実像を探ってみたいと思う。
まず、ドゥカティ・スーパーバイシリーズは、
簡単なオートバイではないことを申し上げておきたい。
乗りやすいオートバイではない。
しかし、オートバイを走らせることが楽しい。
コーナリングすることが面白いことを
教えてくれるバイクなんだと思う。
Lツインエンジンは180度点火の4気筒バイクと
違いごく低速ではトルクがない。
点火間隔が4気筒エンジンよりも広いため、
ごく低速では力が出ないためだ。
それに慣れないとバイクをスタートさせたときに
立ちごけする可能性がある。
また、ライディングポジションがスパルタン。
ドゥカティ90度Lツインエンジンは、前後に長いので、
バイクに跨ったときハンドルまで遠い。
しかも、916はシートが高くレーシングバイク
そのもののライディングポジションを強いられる。
とても市街地や渋滞した道で走らせることが難しい。
Lツインエンジンはフロントホイールから
エンジンのクランクシャフトまで距離が長いので、
バイクのハンドリングを難しくしている。
意識してフロントホイールに荷重をかけて
コーナリングする必要がある。
4気筒エンジンバイクのように目線だけでは曲がらない。
しかし、ワインディングやサーキットで走らせると
爽快の一言につきる。
まず、エンジンの幅が狭いのでコーナリングの切れ味が鋭い。
これは直列4気筒エンジンバイクでは味わうことができない。
それはいまの最新型スーパーバイクでも変わらないと思う。
また、ビックボアツインエンジンによりリアタイヤのトラクション
のかかりが強いので立ち上がり加速が強力。
とくに916が、
カジバGP500マシンの車体構成(ディメンジョン)を
採用したため、
それまでのロードバイクでは味わうことが出来ない
スーパーハンドリングを実現した。
また、999と1098からライディングポジション
の向上が図られた。
999は燃料タンクを前後に調整する機能があり、
1098から燃料タンクとシャーシのデザインを変更して
ライダーがより前方に座ることができる
ようになった。
フロントタイヤにより荷重をかけられるようになった。
親しみやすくするためフレームご剛性が見直された。
そいういったことが、
長年ドゥカティ・スーパーバイクシリーズが
ファンを引きつけてきたんだと思う。
しかし困ったことにライバルの1000cc4気筒バイクの
パフォーマンスが上がったことにより、
ドゥカティスーパーバイクシリーズも排気量アップと
パワーアップを行なった。
最新型の1299では、1285cまで排気量アップしている。
もはやストリートでエンジンを限界まで回すような
ことは出来ないと思う。
また、WSBKレギュレーションに適合(2気筒は1200ccまで)
させるため、1299Rは1199ccの排気量のままとされた。
新型1299Rはおそらくスーパレッジェーラ用エンジンパーツを
活用して、それを超える205psを発揮する。
パニガーレ1299はドゥカッティ・フラッグシップモデルとして
中速域の豊かなトルクと数々の電子制御で
パフォーマンスを楽しむバイクとなったといえるだろう。
205psのパワーはハヤブサやZZR1400などの
フラッグシップバイクを凌駕する。
また、1299の装備重量は約190kg。
ハヤブサよりも約70kg以上軽量だ。
高速道路でもワインディングでも遅れを取ることはないだろう。
1299は最速の量産スポーツバイクとなった。
そういって良いだろう。
Ducati 851とは
まず、851のことから書いてみたい。
購入したのは、いまから3年ほど前になる。
前後17インチホイールに換装された851とたまたま出会った。
昔憧れていたバイクでもあり、
どうしても乗りたくなったわけだ。
851は水冷エンジンとなったはじめての
90度Lツインバイクだった。
この851の水冷4バルブエンジンを設計したのは、
マッシモ・ボルディ。
しかし、バイクのスタイリングやシャーシを設計したのは
誰だったんだろう?
いままでにいろいろな文献を読んだのだが、
明確な答えは見つからなかった。
最近購入したバイク雑誌が961登場20周年といういことで、
英国MCN(モーターサイクルニュース)の特集を翻訳して
紹介していた。
私も記事の一部をMCNのwebサイトで読んでいたが、
MCN紙面でしか紹介されていない内容があったので
さっそく購入して熟読した。
そこにタンブリーニの回想録があり、
その中に815と888開発を自由にやらせてもらった。
とあった。
タンブリーニは851の前に750Pasoを設計している。
750F1の空冷Lツインデスモを搭載していた。
しかし、キャブレターはエンジンVバンクに配置されて、
角パイプ・ダブルクレードルフレームが採用された。
そしてはじめて「リンク式リアサスペンション」が装着された。
それに前後16インチホイールが組み合わされた。
ボディーデザインはbimota DB1を彷彿とさせる
フルカバードスタイルだった。
実はベベルギアLツインを搭載した前後16インチモデルを
Pasoの前に試作していたらしい。
しかも、アルミフレームだった。
上の写真がそうらしいが結局日の目をみなかった。
つまり、この経験がまるごと851に生かされた
と思われる。
フレームはレーシングスピードに耐えられる
パイプトレリスフレームが設計された。
リンク式リアサスペンションが装着された。
タンブリーニが最も得意とする分野だ。
この851/888フレームと
リンク式リアサスペンションは、
後のモンスター900に生かされた。
そしてエンジンはいままでにない
水冷4バルブデスモLツインエンジンが設計された。
これが大きない問題だった。
たんに設計と製造が複雑という問題の前に
大きな問題が立ちはだかっていた。
子弟の恩讐があった。
空冷Lツインデスモの生みの親である。
ファビオ・タリオーニが水冷4バルブDOHCに反対していた。
彼は幻と終った4気筒バイクの開発を主張していた。
それは伝説のイモラ200で750SSが勝利した、
そのあとに4気筒エンジン開発が始まった。
まずは水冷エンジン、
あとに空油冷L4エンジンが試作された。
しかし、コストがかかる4気筒エンジンバイクの
製造にGoがかからない。
そういうとき(1978年)、
マン島TTレースでマイク・ヘイルウッド
が勝利したとの報が入った。
伝統のべベルギア機構搭載の900ccLツインデスモ
だった。
そこでドゥカティ経営陣は、イタリアントリコローレに
塗り分けられたMHR900を販売することにした。
ベベルギアLツインを延命させることになった。
タリオーニが開発したL4エンジンは、
エンジンを半分のLツインにして500SLパンタ(1979)
として販売されることになった。
バルブ駆動にゴックドベルトを使用して、
スイングアームをクランクケースに取り付けるなど、
当時の最先端テクノロジーが盛り込まれた。
当時ドゥカティではパラレルツインエンジンを搭載した
Ducati 500が別のエンンジニアにより開発され販売されていた。
タリオーニにとって1970年代後半は、
内憂外患ともいうべき状態だだった。
タリオーニは本来なら、
この500SLパンタ(Lツイン)と
L4(1000cc)の両方を世に出したかっただろう。
しかし、マン島TTレースでの活躍により、
新世代パンタエンジン搭載バイクは500SLパンタ
だけになったのかもしれない。
当初から2気筒(Lツイン)、4気筒(L4)、
または6気筒(L6)としてエンジンの共通化をはかろうと
していたのかもしれない。
シリンダー、エンジン内のピストン、バルブなどの内部パーツを
共有化できる。
また、クランクケースは砂型鋳造すれば良い。
L4バイクの需要が多くなれば金型鋳造に移行すればよい。
そういう目論見があったのかもしれない。
ハーレーも1970年代後半にそういうことを
考えていた。ポルシェが開発した内部パーツを共有化した
水冷2気筒、4気筒、6気筒を設計していた。
これはノバプロジェクト(革新)と呼ばれて実現する一歩
手前までこぎつけていた。
しかし、それとは別にハーレー内部で開発していた、
ショベルエンジンの欠点をすべて解消して、
大きく進化させた新世代のエボリューションエンジンで
伝統の空冷45度Vツインモデルを続けることにした。
それはいまに受け継がれている。
最近読んだバイク雑誌にホンダが1970年代後半、
ハーレーを技術サポートをする計画があったそうだ。
そのためショベルエンジンを詳細に調査したそうだ。
しかし、その計画は破棄された?
もしかしたら、エボリューションエンジンの開発、製造に
ホンダの意見が加味されているのだろうか?
1985年にドゥカティはカジバの傘下に入った。
そのときタリオーニはL4エンジンの可能性を力説したに
違いない。
1971年ドゥカティGP500バイク試作したとき、
500cc/Lツインで11,500rpmまで回すことが
可能だった。
*ゴックドベルト仕様の場合。ほかにベベルギア仕様も
造られた。
そのときの最高出力は72ps。
そのLツインを2個合体したL4(4気筒)にすると楽に
130ps以上のパワーを引き出すことができる。
そしてF1フォードDFVエンジンで実績のある、
メカニカルインジェクションの搭載も考えられていた。
また、シリンダーヘッドを油冷とすることで冷却の面でも
信頼性を確保できる。
*スズキGSX-R750よりも前に油却に取り組んでいた。
わざわざ4バルブエンジンにする必要はない。
いまある技術の延長線ですぐに実現できる。
*L4のパフォーマンスはライバルを圧倒する
能力があることは間違いないが、
エンジンコストは単純に考えても2倍になる。
バイクの売価を釣り上げただろう。
売れるかどうかもわからない。
すでにホンダVFR1000Rが
登場(水冷V4/1000cc 130ps)しているので、
1984年、85年の段階ではホンダに先行されていた。
しかし、マッシモ・ブロディは水冷4バルブエンジンが
これからのドゥカティには相応しいと訴えたのだろう。
彼の大学卒業論文は4バルブヘッドエンジンの開発
だったので是が非でも実現したかった。
ブロディはいまでも4バルブデスモ開発は正しい
ことだったと力説している。
タリオーニのことを師と尊敬していても、
自らの信念を曲げることはできなかった。
1986年に4バルブ水冷デスモを開発するかを、
タリーオニ、ボルディー、
そしてフェラーリからオブザーバーとして
客観的な判断を下せるエンジニアが中に入って
会議が開かれたそうだ。
しかし、ボルディだけが賛成して、
他の二人の賛同を得られなかった。
しかし、最終的な判断は、
ドゥカティ親会社の社長である、
カジバのカステリオーニにより
4バルブエンジン開発が選ばれた。
また、このエンジン開発が失敗したらお前はクビだ。
最後通牒?
を突きつけられた。
退路を断たれたともいう。
なぜ、フェラーリのエンジニアが中に入ったのか?
それはフェラーリの重役であり、
あのエンツォ・フェラーリの息子である、
ピエロ・ラルディ・フェラーリとカステリオーニは友人関係
だったことが発端だったのだろう。
純粋にエンジニアリングの可能性を吟味してもらいたかった
のだろう。
そのフェラーリから会議に参加したエンジニアがだれだった
かは不明(クラウディオ・ロンバルディ?)だが、
4バルブ・デスモそのものを否定したわけではなかったと思う。
ドゥカティの設計・製造環境を考えると無理と助言
したのかもしれない。
しかし、4バルブデスモの開発が決まったあと、
フェラーリ側が技術サポートした可能性がある。
もしかしたら、マラネロで4バルブデスモの
シリンダーヘッドやその他のエンジンパーツが試作
されたかもしれない。
高回転・高出力用のピストン(&リング)、水冷シリンダー
などそれまでドゥカティにはまったくなかった技術サポートが
行われたと思う。
フェラーリはその見返りとしてデスモのテクノロジー
貰い受ける。
さっそくマッシモ・ボルディーは、
空冷750F1のLツインデスモを水冷化して
4バルブヘッドを搭載したプロトタイプエンジンを
デスモを知り尽くしたメンゴリさんとのタッグで開発された。
そしてその年(1986年)のボルドー24時間耐久レース
に参戦(レース途中でリタイヤ)。
その後、排気量を851ccに拡大してエンジン各部をを
リファイン。
クランクケースも新作された。
1987年春のUSデイトナ200に参戦してマルコ・ルッキネリに
より勝利した。
これでレーシングエンジンとして通用することが証明された。
そして1988年からDucati851として発売された。
合わせて当時最先端のマレリ製の電子制御フューエル
インジェクションが搭載された。
ドゥカティ、フェラーリ、マレリのコラボレーション
により最先端モーターサイクルが生み出された???
その後、フェラーリは、
1.5L/V6ターボエンジンの終焉を見据えて
V型12気筒、1気筒5バルブにデスモ機構を搭載した
フェラーリF1エンジンの開発をはじめた。
おそらく1987年から設計を初めて、
ベンチテストを経て88年夏にテスト車両(639)に搭載。
1989年のF1シーズンに
フェラーリ640(エンジンタイプ Tip035)として実戦に投入した。
アラン・プロストとナイジェル・マンセルの最強コンビ。
量産など考える必要のない最高のテクノロジーが投入
されたエンジンだった。
デスモ搭載のV12型気筒エンジンが絞り出す
高回転・高出力エンジンが成功した背景には、
ドゥカティ・デスモの経験が提供されからだと思う。
これで宿敵マクラーレン・ホンダと五分に渡り合った。
世に言うセナ・プロ対決だ。
また、マレリ製の電子制御フューエル
インジェクションと7速セミオートマが搭載された。
デスモはもともとレーシングエンジンのテクノロジーだった。
1950年代、メルセデスは直列8気筒エンジンにデスモ機構
を搭載して5回の世界チャンピオンに輝く
ファンマヌエル・ファンジオとともにF1を席巻した。
しかし、悲劇のルマン24時間レースの事故で
メルセデスはレースから撤退した。
その後、デスモは4輪レーシングエンジンに使われることはなかった。
しかし、ドゥカティだけは、1950年代の終わりから
トライし続けてきた。
その技術の蓄積は他の追従を許さないものがある。
いや、ドゥカティの専売特許だった。
ホンダF1エンジン。
それは1966年頃のことだ。
ライバルにまけない高回転・高出力エンジンを
開発を模索していた。
1気筒の排気量が大きなF1エンジン(250cc×12)では、
バルブの質量が大きくなるので、
バルブスプリング方式ではバルブが追従しなくなるため
(バルブジャンプ)高回転まで回すことができない。
そこで、メルセデス・デスモ機構がテストされた。
しかし、バルブ開閉時の機密性が保てないなど、
技術的な課題をクリアできなかったため、
トーションバースプリング(ねりじ棒)
によるバルブ開閉が実用化された。
バルブとガイドが取り付けられた棒が
「ねじれる→元に戻る」ことでバルブを開閉させた。
量産車ではCB450で採用されたのみ。
しかし、金属疲労でいつかは棒が折れるだろう。
F1のような1レースでエンジンO/Hするようなら
使用可能だったのだろう。
このときホンダがデスモにこだわっていれば、
バルブが閉じたときの気密性に関する問題を解できていたら、
ホンダ4バルブデスモが完成していたかもしれない。 しかし、ドゥカティが長い年月をかけて完成させたデスモは、
ホンダといえども易々とはものにできなかったわけだ。
*ドヵティはヘアピンのようなスプリングで
バルブを抑えて気密を保つ技術を開発した。
怒りが収まらないのはタリオーニ。
その後しばらくして、
この4バルブエンジンは私とは一切関係ないと
宣言して引退してしまった。
ジェネレーションギャップを乗り越える
ことはできなかった。
幻の空油冷L4/1000ccは130psの
パワーを絞り出す可能性があったらしい。
ドゥカティとしては既存の設計・製造技術を
流用できたが、
どちらが正しい選択だったかは、
その後の歴史が証明していると思う。
クラウディオ・カステリオーニに先見の明があった。
4バルブデスモ開発により
従来のツインエンジンの概念を超越する
クワンタムジャンプを可能にした。
それは次元を飛び越えて別の次元に変わること。
この内容は事実と憶測と情況証拠をもとに構成している。
真実ではない。
いや、真実はやぶの中だろう。
重要なことはいまもドゥカティが存在していること。
デスモを使い続けていることだ。
続く