奥多摩最速伝説 RGガンマ400の伝説
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ある夏の早朝のことだ。
私はガンマ400を奥多摩に向けて走らせていた。
青梅の市街地を通り過ぎて
得意の軍畑コークスクリューの下りを右に左に
リズミカルに切り返してた。
車体が軽くバランスの良いガンマの真骨頂を
を発揮できる場面だ。
ここで少し前にガンマ400に勝負を仕掛けてきた851と
ブラックバードの2台に
「どうだ」
とばかりに紫煙を浴びせかけたばかりだった。
あんな重いバイクなどには負けない。
そして最後の左コーナーでスロットルをワイドオープンした。
ところが、
リアタイヤが大きく外側にスライドしてしまった。
おそらく前の日に降った雨が乾いていなかったのだろう。
私は無意識にスロットルを戻してしまった。
リアタイヤが大きく外側にスライドしてしまった。
おそらく前の日に降った雨が乾いていなかったのだろう。
私は無意識にスロットルを戻してしまった。
「しまった」
そう思った瞬間、ガンンマはハイサイドを起こして
その反動で宙を舞い路面に叩き付けられた。
そう思った瞬間、ガンンマはハイサイドを起こして
その反動で宙を舞い路面に叩き付けられた。
わたしもガンマから放り出されて路面に叩き付けられて前方に滑っていった。
そして立ちあがろうとすると身体のあちこちがが痛い。
そして立ちあがろうとすると身体のあちこちがが痛い。
そして振り返りガンマに目をやると、
なんと、
もうもうたる黒鉛を上げて燃え上げっているではないか。
もうもうたる黒鉛を上げて燃え上げっているではないか。
私は「ワーッ」
と叫び声をあげてしまった。
そこで目が覚めた。
夢を見ていたんだ。
それにしてもなんてリアルな夢なんだ。
心臓がドキドキと激しく動悸を打っていた。
しかし、夢でよかった。
私はガンマ400を10年あまり走らせていた。
それほど気にいっていたらかだ。
しかし、すでに古いバイクとなっていた。
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その頃の想いは、
なぜ、アルミツインスパーフレームのVガンマ500は
発売されなかったんだ!
なぜ、アルミツインスパーフレームのVガンマ500は
発売されなかったんだ!
1989年頃、そういう噂が流れていた。
メーカーのセールスがVガンマ500を発売したら
買いますか?
そういう問い合わせをバイク屋にしていたそうだ。
その噂を耳にしたとき、
絶対に買うと決めていた。
これがあればスーパーハンドリングと言われた916にも
負けないはずだ。
そういう思いが悪夢となってうなされたのだろうか?
当時RGVガンマ250のアルミツインスパーフレームに
ガンマ500のエンジンを搭載したスーパーガンマ500の制作
を夢見ていたことがあるほどだ。
また1996年型GSX-R750。
アルミツインスパーフレーム化された最初の一台だが、
このフレームレイアウトはGP500チャンピオンを獲得した
RGVガンマ500のデイメンジョンを写し取ったものだ。
こいつにが2ストだったら、
リアルレプリカだったらといまも思う。
このフレームにガンマ500のエンジンを搭載したら、
.......
アルミツインスパーフレーム化された最初の一台だが、
このフレームレイアウトはGP500チャンピオンを獲得した
RGVガンマ500のデイメンジョンを写し取ったものだ。
こいつにが2ストだったら、
リアルレプリカだったらといまも思う。
このフレームにガンマ500のエンジンを搭載したら、
.......
996R。
こいつは私の中では最速の1台として記憶している一台だ。
こいつにはノーマルのガンマ400では勝てない。
しかし、Vガンマ500が出ていたら、......
そう思ったものだ。
ここで昔書いたガンマ伝説を想い出してみたい。
RGガンマ・スクエア4エンジンよ永遠に!
1994年8月20日作成
*20年前の今日だね
*20年前の今日だね
かつてGP500で7年間に渡りメーカーズチャンピオン奪取
したマシンRG。
また1976、1977年はイギリスの名手、Bシーンにより個人タイトルを獲得する。
1981、1982の2年は打倒Kローバーツの合い言葉のもとに開発されたRGガンマにより、
イタリアンライダーのMルッキネリ続いてFウンチーニにより個人タイトルを奪取した。
また1976、1977年はイギリスの名手、Bシーンにより個人タイトルを獲得する。
1981、1982の2年は打倒Kローバーツの合い言葉のもとに開発されたRGガンマにより、
イタリアンライダーのMルッキネリ続いてFウンチーニにより個人タイトルを奪取した。
そして多くのプライベーター達のために市販レーサーRGB500が供給された。
このRGB500によりGPを征したプライベータもいる。
オランダのJミドルバーグ、1981イギリスGPである。
この様な輝かしい戦績を重ねてきたマシンRG、
そして勝利のためひたすら改良に改良を重ねられた宝玉のごときスクエア4エンジン。
ついに1983年、究極のスクエア4が完成。
しかし時代はV4の時代に突入しスクエア4を時代の彼方に追いやってしまった。
このRGB500によりGPを征したプライベータもいる。
オランダのJミドルバーグ、1981イギリスGPである。
この様な輝かしい戦績を重ねてきたマシンRG、
そして勝利のためひたすら改良に改良を重ねられた宝玉のごときスクエア4エンジン。
ついに1983年、究極のスクエア4が完成。
しかし時代はV4の時代に突入しスクエア4を時代の彼方に追いやってしまった。
1984イギリスGPで名手Bシーンの手によりスクエア4はオーバレブ領域を回され続けV4を追いかける。
しかしV4は手の届かぬ彼方に走り去った。
スクエア4エンジンは名手Bシーンと共に静かにGPを
しかしV4は手の届かぬ彼方に走り去った。
スクエア4エンジンは名手Bシーンと共に静かにGPを
去っていった。
1985年栄光のマシンRGガンマの名前をそのままにエンジンも熟成しつくされたスクエア4エンジンを登載する市販ロードスポーツバイクRGガンマ500/400が登場する。
かつてこれほどまでの栄光と伝説を背負い、
RGファンに希求されたマシンはあっただろうか?
今は1994年である。
GPの世界では、すべてV4エンジンで埋め尽くされた。
しかしロードにおいてRGガンマ・スクエア4エンジンほど強烈
GPの世界では、すべてV4エンジンで埋め尽くされた。
しかしロードにおいてRGガンマ・スクエア4エンジンほど強烈
な個性でライダーを熱くさせるエンジンはない。
わずか500CCのエンジンで異次元の強烈な加速をみせる
スクエア4エンジン。
完ぺきに整備されたスクエア4は3000回転のブリッピングを2~3回くれてやった後に、
なんともいえぬ美音が聞こえてくる。
なんともいえぬ美音が聞こえてくる。
シューンという音が強烈なエキゾーストノートの後にエンジンから発せられる。
シューン..........と低く長くこだまする。
このなんともいえぬ音、
いや音と言うよりも芳香というべきか。
これこそシュープリーム(最高)という表現を使いたくなる。
..................
スズキRGガンマ400と500には
5台ほど乗り継いだ。
ほかのバイクを買うときに売却するのだが、
またすぐに乗りたくなる。
5台ほど乗り継いだ。
ほかのバイクを買うときに売却するのだが、
またすぐに乗りたくなる。
いまも最後のRGガンマ500WWが秘密の
地下格納庫で再始動のときを待っている。
たしか1984年頃だったかな?
グンプリマシンのリアルレプリカバイクがスズキ
から出るらしい。
そういう噂を当時のオートバイ雑誌で読んだ。
また、スクープされた写真も掲載されていた。
これってレーサーのRGガンマそのものじゃないか?
うそだろ?
こんなバイクが出るはずがない。
しかし、すでにアルミフレームのRGガンマ250と
GSX-R400が発売されていたので、
ありえない話ではないと。
そう思っていた。
GSX-R400が発売されていたので、
ありえない話ではないと。
そう思っていた。
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そして1984年秋にドイツのケルンショー、
いまのインターモトでRGガンマ500とGSX-R750が
同時にデビューした。
1985年スズキRGガンマ400の国内販売が開始された。
しかし、すぐにご縁があるとは思わなかった。
しかし、すぐにご縁があるとは思わなかった。
ガンマ400を初めて所有したのは、、
1986年東北ツーリングに出掛るために購入
したのだった。
カワサキKR250からの乗り換えだった。
いまはもうない拝島のKサイクルだった。
NS400Rとガンマ400の両方のエンジンを
かけてもらいガンマにした。
決めてはガンマのエキゾーストノートだったね。
それから仲間のアベレージスピードに合わせてツーリング
できるかだった。
それから仲間のアベレージスピードに合わせてツーリング
できるかだった。
前年の1985年、
GSX-R400で北海道までツーリングに出たとき、
もっと瞬発力/パワーがほしいと痛切に思った。
先頭のニンジャ900Rを追いかけるには非力だった。
ニンジャはツーリング編隊を引っ張るためにかなり飛ばす。
私は2番手だったので、
遅れると編隊が崩れてしまう。
東北自動車車道を青森に向けてひた走っていると
6速でもかなり回転を上げる必要があった。
もっと瞬発力/パワーがほしいと痛切に思った。
先頭のニンジャ900Rを追いかけるには非力だった。
ニンジャはツーリング編隊を引っ張るためにかなり飛ばす。
私は2番手だったので、
遅れると編隊が崩れてしまう。
東北自動車車道を青森に向けてひた走っていると
6速でもかなり回転を上げる必要があった。
やっぱり400は非力だ。
早く限定解除したかった。
そしてガンマ400で十和田湖まで北上する東北ツーリングに
出かけた。
ニンジャ900R(フロント16インチ)、ガンマ400、
FZ400R、VFR400R、GZP400R、FZR400
の陣容だった。
しかし、ブレーキが効かないので何度もオーバーランしそうに
なった。GSX-R400がよく効くブレーキだったので、
かなり恐ろしい思いをした。
かなり恐ろしい思いをした。
2速で加速して3速に入れると加速しない。
難しい、難しい、難しいの連続だった。
また、お前の後ろは煙い。
など苦情を投げつけられた。、
そういうさんざんな目にあったのだが、
その凄まじい加速力の虜になった。
その後ブレーキの効きはSBSのブレーキパッドと
交換することで解決した。
あるとき新青梅街道でスズキGSX-R750と勝負したことが
ある。スタートでリードを奪ったが途中で抜かれた。
いや、国道16号線との立体交差の先は工事していたので
いや、国道16号線との立体交差の先は工事していたので
スロットルを緩めたんだ。
いまも負けたとは思っていない。
いまも負けたとは思っていない。
スズキは1970年代半ばから80年代前半まで、
ワールドグランプリGP500クラスで7年連続メーカー選手権
を獲得した。
バリー・シーン(2回)、マルコ・ルッキネリ(1回)、
バリー・シーン(2回)、マルコ・ルッキネリ(1回)、
フランコ・ウンチーニ(1回)らによりGP500チャンピオンを
4回獲得した。
そのことでヨーロッパでのスズキブランド力の向上に貢献した
そのことでヨーロッパでのスズキブランド力の向上に貢献した
ことは間違いない。
いまのハヤブサにつながら高級モーターサイクルメーカーとして
いまのハヤブサにつながら高級モーターサイクルメーカーとして
の名声を不動のものとした。
1985年、ワールドグランプリで得られた経験のがすべてが
スズキRGガンマ400に投入された。
ガンマ400の発表会が浜松のスズキ本社で
開催されたときのこと。
開催されたときのこと。
「なぜ、こういう作りなんですか?」
との質問に対して、
「それはレーサーRGガンマ500がそうだったからです。」
と開発者は自信を持って答えた。
と開発者は自信を持って答えた。
ガンマ400は刺激に満ちたパワーがあり、
バランスのとれた車体だった。
そして耐久性を備えていた。
ワールドグランプリで7年連続メーカータイトルを獲得
しただけのことはある。
しただけのことはある。
ガンマ400を走らせていた10年の間に
エンジントラブルは皆無だった。
電動ファンなどないのに、
真夏の東北ツーリングでもオーバーヒートしなかった。
エンジントラブルは皆無だった。
電動ファンなどないのに、
真夏の東北ツーリングでもオーバーヒートしなかった。
また、2速を常用していたこともあるが、
プラブさえかぶらなかった。
ノーマルマフラーだったこともあるだろう。
メーカーで徹底的にテストされたからだろう。
プラブさえかぶらなかった。
ノーマルマフラーだったこともあるだろう。
メーカーで徹底的にテストされたからだろう。
それでいて瞬時に9000rpm以上まで吹け上がる
強烈な加速力を取り出すことができた。
また、2ストロークエンジンながら振動が激しいと感じた
ことはない。
エンジンが同爆だったからなのだろうか?
↓
対角線上の1-4番、2-3番が同時点火する、
180度の2気筒同爆。
理論上、一次振動はゼロ
まっ、4ストバイクのようにある程度高い回転をキープして
ギアをアップダウンさせるだけでスピードコントロールする
ような上品な走り方はできない。
2速で目いっぱい回転を上げて、
そこではじめて3速に上げる。
そんな感じだった。
そのため街中やワインディングでは4速、5速と6速は使った
ことがない。
入れても前に進まない。
失速するだけだ。
入れても前に進まない。
失速するだけだ。
ガンマ400のトップエンドは刺激に満ちた世界だった。
素人さんお断りの世界だった。
そういうこともあり限界まで酷使されていないのかも?
いまでも中古車販売サイトで多くのガンマ400を
みつけることができる。
みつけることができる。
生存率は高いと思う。
記憶のかなたからガンマ400のハンドリングの
ことを想い出してみよう。
ことを想い出してみよう。
RGガンマは400ccバイクとしては軽量だった。
これは間違いない。
156kgの乾燥重量(装備重量175kg)は
いまも圧倒的に軽量だ。
*スガヤのチャンバーと交換したらさらに10kg近く
軽量化されたはずだ。乾燥重量146Kg?
シリンダーヘッドのない2ストエンジンということもあり、
非常に重心が低いので直進安定性がよかった。
4サイクル4気筒バイクのような腰高なバイクの
とはまるで違う。
スクエア4エンジンは前後に長いのでホイールベースも
長かったと思う。
不思議なのは、
ガソリンを満タンにしてもさほど重心が高くなったと感じな
かった。
スクエア4エンジンは前後に長いのでホイールベースも
長かったと思う。
不思議なのは、
ガソリンを満タンにしてもさほど重心が高くなったと感じな
かった。
ライダーは比較的高い位置に座り両手を伸ばしても
ハンドルまで近い。
また、直進安定性が良いわりに、
右に左にクイックに曲がる。
ほとんどリーンアウトで曲がっていた。
スピードが低いときは、
ワインディングのタイトコーナーををくるっと回ることができた。
オフロードバイクを操作する感覚に近いかもしれない。
ガンマ400は非常に重心バランスに優れた
車体だったと思う。
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1979年マン島TTレースで勝利した市販レーサーRGB500
ライダーはあのマイク・ヘイルウッド。
現役最後の勝利となった。
1960年代から続けているリーンウイズスタイルライディングを
生かせるバンランスに優れたバイクだったわけだ。
さすがに7年連続メーカー選手権を獲得できるバイクだけの
ことはある。
まだスチールパイプフレーム、前後18インチタイヤ、リア2本サス
だった。エンジンは伝統のスクエア4。
ガンマ400のバランスの良い車体構成は、
レーサーRGB500とRGガンマ500譲りのものだと思う。
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ところが、スピードを上げるとハイスピードコーンリング
ができず悪戦苦闘した。
フロントから滑りそうで恐ろしかった。
当時のライディングスキルでは難しかったようだ。
私自身の問題だった。
そこでリアタイヤで曲がるリアステアライディングを習得した。
いまのようにフロントタイヤのグリップに頼るような
ライディングは出来ないと思う。
怒涛の加速を体感させてくれるガンマ400。
しかし、
ハイスピードでガンマを走らせるといつも手に汗握っていた。
わたしには高速コーナリングを可能にするスキルは無かった。
そしてミッション操作の難しさ。
ガンマ400は驚くべきことにレーサーと
同じカセット式ミッションを装備していた。
しかしギアのかみ合いがきつくアップダウンで苦労した。
まだ、ノンクラでシフトアップするテクなんて、
まったく知らなかったのでクラッチ操作していたのだが、
ミッションオイルが新しい(固い)間は入りが悪い。
とどめは信号ストップすると1速からニュートラになかなか
入らない。
仲間からおまえなにをやっているんだと訝しく思われた。
アクセルをふかしてやればニュートラに入る
ことはずっと後になってわかった。
かみ合いがきつい原因は不良ではなく、
ギア抜けしないようにするため、
レーシングバイク特有のオーバーレブ対策だった。
1980年代もドゥカティなどもそうだった。
そしてガンマ400の加速がどんなものだったかを
想い出してみよう。
私は2速10000rpmまでスクエア4エンジンを攻め立てた。
そのときいきなり強烈な加速がはじまり途中からワープする
そのときいきなり強烈な加速がはじまり途中からワープする
とでもいいたくなるように加速が増速する。
周りの景色が溶ける。
頭の血の気が後ろに引っ張られれるような感覚だ。
それでいて4ストのようなエンブレはない。
こういうエンジンは他にはない。
周りの景色が溶ける。
頭の血の気が後ろに引っ張られれるような感覚だ。
それでいて4ストのようなエンブレはない。
こういうエンジンは他にはない。
わずか400ccのエンジンにそんなことが可能なはずはない。
だれもそう思うだろう。
しかしガンマ400のエンジンは2気筒同時爆発。
1-4番と2-3番が同時に爆発する。
1回につき2個分(200cc)のパワーが発生する。
また、180度間隔なので理論上の1次振動はゼロ。
1-4ピストンが点火のためストップしたとき、
2-3ピストンは上死点に向かった加速中のため
振動は相殺される。
100×2=200ccが同時に爆発している。
しかも2ストなので4ストの2倍点火する。
理屈では400cc×2=
800cc90度Vツインの力量といえるかもしれない。
しかもバイクは156kgと軽量。
こういうバイクの加速が遅いわけがない。
フルスケールのガンマ500は
1000cc90度Vツインのパワーと同等の力量
といっていいだろ。
また、2ストは排気マフラー/チャンバーの効果により
爆発的にパワーが盛り上がる。
この点が4ストと大きくことなる。
加速が増速する。
周りの景色が溶ける。
とはこのことだ。
ノーマルマフラーでもその効果を実感できるが、
社外のスガヤのチャンバーと交換すると、
おそるべきパワーを絞り出し回転上昇を可能にする。
しかし、エンジンの寿命を縮めることになる。
ノーマルマフラーならエンジンを長持ちさせる
ことができる。
エンジン自体はスムーズだった。
前バンクと後ろバンクのクランクシャフトをギアで連結
しているのにガリガリと異音(バックラッシュ)が発生する
ことはなかった。
2気筒同爆で理論上の1次振動ゼロなので振動は少なかった。
これは7連続GP500メーカーチャンピオンを獲得する過程で
徹底的に改良されたスクエアア4エンジンだからだろう。
エンジンサイドから吸気するロータリーディスクバルブ
機構はもっともパワー発揮できるものだった。
しかし、けして扱いやすいエンジンにはならない。
機構はもっともパワー発揮できるものだった。
しかし、けして扱いやすいエンジンにはならない。
後のクランクケースリードバルブ機構と比べると、
いきなりパワーが立ち上がるじゃじゃ馬な特性だった。
これは素人がコントロールできるエンジンではない。
余談だが、
GP250を最後まで戦ったアプリリアRS250が、
90度Vツインロータリーディスクバルブ機構を最後
まで使用した。
もっともパワーを引き出すことができるからだ。
それを数々電子制御デバイスでコントロールした。
GP250を最後まで戦ったアプリリアRS250が、
90度Vツインロータリーディスクバルブ機構を最後
まで使用した。
もっともパワーを引き出すことができるからだ。
それを数々電子制御デバイスでコントロールした。
扱いが難しく操作が重い強制開閉キャブ。
それを気筒ごとに別個に取り付けられていた。
4ストの負圧ピストンキャブのような御しやすいものではない。
スロットルをワイドオープンできたのは長いストレート
がある場合だけで、
コーナーでは細いリアタイヤのグリップの探り合いだった。
ガンマ400を走らせたライダーに聞いてみても、
加速が凄かったとう話を聞けるが、
コーナリングのことを聞いても明確な答えは返って
きたことはない。
結局、エンジンだけが尖がっていたガンマ400を
コントロールできたという実感は最後まで得られなかったね。
でもいまのように1000ccのパワーで速く走るバイクにはない、
常にチャレンジする満足感は大きかった。
それが10年にわたりガンマ400を走らせ続けた理由といえる
だろう。
それでも、
もっと太いリアタイヤだったら。
もっとフロントタイヤの接地感がほしい。
17インチフロントタイヤだったら。
このハイパワーを生かせる足回りだったら、
私の頭の中は、ガンマ400が好きだが、
ここがこうだったらという複雑な気持ちが混ざり合って、
ジレンマにさいなまされていた。
もっとフロントタイヤの接地感がほしい。
17インチフロントタイヤだったら。
このハイパワーを生かせる足回りだったら、
私の頭の中は、ガンマ400が好きだが、
ここがこうだったらという複雑な気持ちが混ざり合って、
ジレンマにさいなまされていた。
そういうとき、
イタリアントリコローレ(赤/白/緑)
に塗り分けられたドゥカティ750F1と出会った。
柳沢峠からの帰りだった。
あまりにも珍しかったので
人だかりになっていた。
MHR900とは違い軽量でパワーもある。
たんなる空冷Lツインとは違う。
そのあたりがドゥカティのことがが気になりだした最初の
たんなる空冷Lツインとは違う。
そのあたりがドゥカティのことがが気になりだした最初の
ころだったね。
イタリアの芝生が青く見えたわけだ。
ガンマ400とは対極にあるバイクと思えた。
ドカにはドコドコ感がある。
タイヤをグリップさせるトラクションという用語があることを
はじめて知った。
そのあたりのことは次の機会に紹介したい。
タイヤをグリップさせるトラクションという用語があることを
はじめて知った。
そのあたりのことは次の機会に紹介したい。
その頃、友人のたちさんも青/白のガンマ400を新車から
購入して走らせていた。
購入して走らせていた。
ヤマハRZ350とFZ400Rの2台の後だった。
その凄まじいパワーフィーリングに酔いしれたそうだ。
アクセルだけで簡単にウイリーする。
アクセルだけで簡単にウイリーする。
当時の奥多摩有料道路に出かけて、
そのパワーフィーリングを楽しんでいだそうだ。
そのパワーフィーリングを楽しんでいだそうだ。
また、友人に貸したところ、
ガンマ400は750よりも速いと驚いたそうだ。
その後苦労の末限定解除して大型自動二輪免許を取得。
それと同時ヤマハFZ750を購入してガンマ400と別れた。
しかし、タチさんのなかにはガンマ400の記憶がいまも
色濃く息づいている。
色濃く息づいている。
1980年代は新車が発売されて2年も経過すると
型遅れとして見向きもされなくなった。
いまのように同じモデルを改良しながら何年も販売を継続
することは稀だった。
その分完成度は上がるけどね。
型遅れとして見向きもされなくなった。
いまのように同じモデルを改良しながら何年も販売を継続
することは稀だった。
その分完成度は上がるけどね。
RGガンマ400の場合もわずかに2年に生産を打ち切られた。
2ストはRGV250ガンマだけになってしまった。
2ストはRGV250ガンマだけになってしまった。
GSX-R1100のようにフレームを強化して
ラジアルタイヤを履かせていれば、.....
いまテイストオブ筑波に多数のガンマ500レーサー
が出場しているが、
GSX-R1100登場時に改良されたフレーム強化
と同じような改良が施されている。
ラジアルタイヤを履かせていれば、.....
いまテイストオブ筑波に多数のガンマ500レーサー
が出場しているが、
GSX-R1100登場時に改良されたフレーム強化
と同じような改良が施されている。
ピポット部の強化、メインチューブの増強、
ステアリングヘッド部の補強などだ。
ステアリングヘッド部の補強などだ。
あのヨシムラ トルネード ボンネビルはGSX-R1100の
フレームに手を加えていない。
そのハイパワーを受け止めることができると
判断されたのだろう。
フレームに手を加えていない。
そのハイパワーを受け止めることができると
判断されたのだろう。
そしてガンマ500.
私よりも10歳ばかり先輩のNGTさん。
私と同じく拝島のKサイクルでガンマ500を購入した。
特別の思いがあったわけではなく、
たまたま置いてあった500を見て即決したそうだ。
また、国内仕様はパワーがない(64ps)だろう、
ということで社外のスガヤのチャンバーと交換した。
それで隠されたパワーを解放した。
私と同じく拝島のKサイクルでガンマ500を購入した。
特別の思いがあったわけではなく、
たまたま置いてあった500を見て即決したそうだ。
また、国内仕様はパワーがない(64ps)だろう、
ということで社外のスガヤのチャンバーと交換した。
それで隠されたパワーを解放した。
そのパフォーマンスはというと、
スロットル操作だけで簡単にウイリーする。
そのままどこまでもウイリーを続けることができた。
コーナリング中、出口が見えたところで
スロットルをワイドオープンすると
ウイリーしながらコーナーを立ち上がった。
しながら突進した。
とんでもない武勇伝の数々が飛び出してきた。
NGTさんいわく、
ガンマ500は危険なバイクだったよ。
と嬉しそうに語ってくれた。
NGTさんいわく、
ガンマ500は危険なバイクだったよ。
と嬉しそうに語ってくれた。
いまNGTさんは、
スポーツスターで久々にバイクにリターンされた。
スポーツスターで久々にバイクにリターンされた。
この前久々にお会いしたときに言われたことは、
早くお前さんのガンマ500を始動させろよ。
この俺がウイリーを決めてやるからさ。
というものだった。
早くお前さんのガンマ500を始動させろよ。
この俺がウイリーを決めてやるからさ。
というものだった。
残念ながら私のガンマ500WWは国内仕様なので、
そんな凶暴な性格は持ち合わせていない。
マイルドなガンマ500なんですわ。
紫煙をたくさん吐き出すけどね。
そんな凶暴な性格は持ち合わせていない。
マイルドなガンマ500なんですわ。
紫煙をたくさん吐き出すけどね。
以前聞いた話だが、
1986年頃、奥多摩有料道路に恐ろしく速いガンマ500
が走っていたそうだ。
そこらじゅうを走っていた250と400を蹴散らしていた。
その光景を見た友人は興奮してそのことを話していた。
1986年頃、奥多摩有料道路に恐ろしく速いガンマ500
が走っていたそうだ。
そこらじゅうを走っていた250と400を蹴散らしていた。
その光景を見た友人は興奮してそのことを話していた。
もしかして、
NGTさんのガンマ500だったのだろうか?
それともで先の見えないブラインドコーナーで
それともで先の見えないブラインドコーナーで
アウトサイドから勝負をしかけていた命知らずのガンマなのか?
国内仕様のガンマ500は64ps/8500rpm
低速からたっぷりのトルクがあるので乗りやすい。
4ストのようにカムがあるわけではないので、
性格を変えるために、
吸気にインシュレーター(網の輪か×4個)を入れて、
排気を絞ったマフラーが取り付けられていた。
キャブのメインジェットは変更してないと思う。
パーツリストとメンテナンスマニュアルを所有
しているが、国内仕様と輸出仕様で同じ番手が記載されていた。
つまり吸気と排気だけで64psに抑え込まれていたと思う。
口径も同じ28φのキャブ×4が取り付けられている。
国内仕様はツーリングに使える穏やかな性格だった。
2ストにしては燃費が良かったそうだ。
これはガンマ500の本来の姿ではない。
また、前後スプロケは国内仕様に合わせたものだったと思う。
また、前後スプロケは国内仕様に合わせたものだったと思う。
最高速はあまり伸びない。
しかし、スロットルを少し開けるだけで前に進む。
そこにスガヤのチャンバーなんかつけると、
すぐにウイリーする「じゃじゃ馬」になることは容易に想像がつく。
NGTさんのガンマ500がそうだった。
輸出仕様のガンマ500は95ps/9500rpm
1速がハイギアードでスタートで長々と半クラを使う必要があった。
輸出仕様のガンマ500を販売していた入間のバイク屋から
1速がハイギアードでスタートで長々と半クラを使う必要があった。
輸出仕様のガンマ500を販売していた入間のバイク屋から
聞いた話なので事実だ。
*いまはそのバイク屋は存在しない。
そのときに買っておけばよかった。
最高速度を伸ばすギアレシオだったのだろう。
モーターサイクルスペックにある最高速度の表記は236.4 km/h
となっている。
また、1986年頃だったかな?
モトライダー誌?によると、
ガンマ500は谷田部テストコースで246kを記録したそうだ。
モトライダー誌?によると、
ガンマ500は谷田部テストコースで246kを記録したそうだ。
同時にテストされたガンマ400の最高速は226k。
おそらくメーカーチューンされていたのだろう。
前後スプロケを最高速が出るロングなものに交換していたに
おそらくメーカーチューンされていたのだろう。
前後スプロケを最高速が出るロングなものに交換していたに
違いない。
焼付きが防止のため混合ガソリンだったかもしれない。
焼付きが防止のため混合ガソリンだったかもしれない。
1986年頃、ガンマ500に試乗したライダースクラブの
ネモケンさんいわく、
こんな凶暴なバイクを販売していいのか?
と書いていた。
おそらく輸出仕様と同等のメーカーチューンしたガンマ500だった
のだろう。
前後スプロケは国内仕様のままかも?
こんな凶暴なバイクを販売していいのか?
と書いていた。
おそらく輸出仕様と同等のメーカーチューンしたガンマ500だった
のだろう。
前後スプロケは国内仕様のままかも?
そうだとしたらNGTさんのガンマ500と
同じ凶暴なバイクだったはずだ。
以前聞いた話だが、
ガンマ500国内モデルに400のマフラーを付けると
ガンマ500国内モデルに400のマフラーを付けると
フルパワーにすることができる。
というもの。
というもの。
ガンマは分離給油だが、
焼付き防止のため2ストオイルを適量ガソリンに混ぜて最高速
アタックした。
輸出仕様に変更されたスピードメーターは240k+αを
指したそうだ。
そのあと安易にアクセルオフすると一気に焼付く恐れがあるので、
アクセルを開けたまま(クラッチを切って?)
フルブレーキングしたそうだ。
そしてブリッピングしながら徐々に回転を落とした。
スガヤのチャンバー。
ガンマ400と500の隠されたパワーを引き出す
秘密兵器。
一度入手するチャンスがあった。
2台目のガンマ400についていたのだが、
とりあえずノーマルに戻してもらった。
チャンバーだけ後で届けてくれる約束だったが、
なんと、バイク屋で処分されていた。
非常に残念だったね。
そろそろ次の話題のとっかかりを書いてみたい。
いまもビックバイク(4気筒)に馴染めないのは、
軽量な2サイクルガンマ400と
NSR250Rを長く乗り継いできたからだろう。
軽量な2サイクルガンマ400と
NSR250Rを長く乗り継いできたからだろう。
その2台に出来ることを
ビックバイク(4気筒)に求めてもしかたがない。
その1つがブレーキ。
重いバイクは止まらない。
2つ目は車体が大きいので
ハンドリングが悪い。
いままで4気筒1000ccスーパースポーツバイクの
ハンドリングが良いなんて思ったことはない。
ハンドリングが良いなんて思ったことはない。
しかし、高速安定性とハイスピードを維持
することに優れている。その点は大いに認める。
その両方の良い点を
備えているのビックバイクがある。
備えているのビックバイクがある。
それは916以降のドゥカティスーパーバイクだと思う。
いままで最上のハンドリングバイクは、
BS002を履かせた996Rだった。
いままで最上のハンドリングバイクは、
BS002を履かせた996Rだった。
私は密かにでっかいNSR250Rと呼んでいた。
しかし、欠点が存在しないわけではない。
エンジンマネージメントがまだまだだった。
996Rに999R(05)のエンジンと
コンピュータを搭載したら無敵の
スーパーバイクになると思う。
しかし、実際に試みた人から、
それはできなかった。
そういう話を聞いている。
1098ではないのか?
フレームが違うのでコーナリングの切れ味が変わった。
916シリーズのメインフレームには2本のクロスした
サイドメンバーが入れられていた。
1098ではメインパイプを太くして剛性を確保したが
サイドメンバーを無くしたため916のような切れ味はなくなった。
その分乗りやすくなった。
切れ味鋭い村正が、
おとなしい正宗に変わった。
そんな感じかな?
916が登場した時点で従来にない鋭いハンドリングを
持つ脅威のビックバイクだったが、
テストストストレッタと呼ばれた小型のシリンダーヘッドを
持つ996Rはそれを大きく上回る切れ味のハンドリング
だった。
まさに村正。
そうおもうね。
すでにドゥカティスーパーバイクの話が始まっている。
スズキのワークスレーサー・RG500ガンマの公道バージョン:
RG400・500ガンマ
話はつきないので、
この辺で終わりにしたい
この辺で終わりにしたい
ではでは//
Ps、
若い人がいまからガンマ400を買おうとは思わないことだ。
危険だ。
憧れだけで買うバイクではない。
そう申し上げておきましょう。