奥多摩最速伝説 「ホンダに追いつけない」
1980年代半ば頃。
奥多摩有料道路は熱かった。
レーサーレプリカと呼ばれる2サイクル250cc、
4サイクル4気筒400ccバイクがあふれていた。
彼らは奥多摩有料道路を何度も往復していたのでローリング族と
呼ばれる走り屋集団だった。
奥多摩有料道路は熱かった。
レーサーレプリカと呼ばれる2サイクル250cc、
4サイクル4気筒400ccバイクがあふれていた。
彼らは奥多摩有料道路を何度も往復していたのでローリング族と
呼ばれる走り屋集団だった。
奥多摩有料道路(約15k)の中にある、
月夜見第一駐車場と第二駐車場は、彼らの走りを見ようと
集まってきた、あふれるほどのギャラリーで埋め尽くされていた。
いまの奥多摩周遊道路もバイクが多いが、
全盛時と比べると「のどか」なものだ。
日曜の夕方など、
奥多摩から帰るオートバイで新青梅街道は埋め尽くされた
ものだ。車よりもその数は多かったくらいだ。
バイクが渋滞を起こしていたんだ。
それとは別にベテランライダーだちは、
奥多摩有料道路が「熱狂のるつぼ」と化していたとき、
奥多摩のさらに先にある「山梨側の柳沢峠」に向けてバイク
を走らせていた。
週末の早朝、自分一人だけバイクと向き合う時間を
楽しんでいた。
そして奥多摩近辺がバイクで混み合う前に帰宅していた。
混雑した奥多摩有料道路を走る必要(バトル)はない。
と考えていたらからだ。
わたしも柳沢峠に出かけることが多かったかな?
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私は当時スズキGSX-R400(初期型)を
走らせていた。
1985年、このバイクと仲間9人で北海道を一周するツーリング
に出かけた。
当時、オートバイ乗りは次々に北の大地を目指した。
すれ違うバイク同士の挨拶はピースサイン。
当時、オートバイ乗りは次々に北の大地を目指した。
すれ違うバイク同士の挨拶はピースサイン。
一大ロングツーリングブームだったといってよい。
この時代、オートバイを取り巻くすべての環境が沸騰していた。
その頂点が鈴鹿8時間耐久レースと世界グランプリ(1987年~)
だった。
1960年代に鈴鹿と富士SWで開催された伝説のグランプリレースが
20年以上の時を経て復活した。
20年以上の時を経て復活した。
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その後私はグランプリ500ccマシンレプリカである、
スズキRGガンマ400に乗り換えて、
それから10年間(1996年頃)に渡り走らせていた。
いまも秘密の格納庫に置いている。
スズキRGガンマ400に乗り換えて、
それから10年間(1996年頃)に渡り走らせていた。
いまも秘密の格納庫に置いている。
さて、
DRさんこんにちは、
今日もレーサーレプリカブーム時代のことをを
聞かせてください。
今日もレーサーレプリカブーム時代のことをを
聞かせてください。
DRさん
いいですよ。
ナン:
ところで、
これまで何台くらいのバイクを
乗り継いできたんですか?
DRさん
この125ccのスクーターで40台
くらいになるかな?
これは子供用に買ったものです。
最近は落ち着いたね。
やっぱり1980年代から90年代前半が
一番乗り換えていた。
その当時勤めていた会社は忙しかったので、
残業代だけで毎月25万くらい稼いでいたんだ。
そのおかげで乗りたいバイクを全部買って走らせたよ。
タイヤは一か月に1セット消化していた。
週末は朝方まで働いて、
夜が明けたらツナギに着替えて奥多摩に向かった
ものだよ。
若かったので、
そんなことはへっちゃらだった。
覚えているだけでも、
RZ250、VT250、Z400GP、FZ400R、
RZ250R、RZ350R、GSX400Xインパルス、TZR250、
FZR400R、TZR250R、
そのほかにもオフロードバイクを何台も乗りついできたんだ。
どれも1万kくらい走らせると、
エンジンかへたる、元気がなくなる(または壊れる)ので乗り換え
どれも1万kくらい走らせると、
エンジンかへたる、元気がなくなる(または壊れる)ので乗り換え
ていたよ。
すべて限界までエンジンを回していた。
それらのバイクは友人に売却してしまった。
すべて限界までエンジンを回していた。
それらのバイクは友人に売却してしまった。
当時バイクを走らせるとは、
そういうことだったんだよ。
ナン:
限定解除して750や1000ccには乗ろうと思わなかった?
DRさんはヤマハ党でしたよね。
FZR750、FZR1000、OW01には興味はなかったの?
DRさん
そうは思わなかったね。
私はいつもバイクのピーク/パワーバンドの回転領域で
バイクを走らせていた。
それに喜びを感じていたんだ。
FZR400Rのクロスミッション付が一番しっくりきたね。
しかし、エンジンを壊してしまったので残念だった。
排気量の大きなバイクではそんなことは
できないし、第一バイクが重いのでハンドリングが良くない。
自分の走りができないよ。
排気量の大きな「パワーで速く走るバイク」
には、なんら興味もわかない。
エンジンは限界まで回さないと面白くない。
いまも軽量なモタードバイクを走らせているんだ。
ナン:
たしかに、1000ccバイクは手に余りますね。
スロットルを捻るだけで簡単にスピードが出るが、
しかし、重いので簡単には止まれない。
いきなり安全マージンが消え失せてしまう。
いまバイク雑誌でライテクの特集が流行っているは、
それだけ難しいからですよ。
しかし、2スト250ccバイクも難しい。
軽量でパワフルだが、
スピードを上げるとそのコントロールが非常に難しくなる。
簡単ではありませんね。
バイクが曲がらなくなるからです。
1989年頃、
ライダースクラブ誌が2ストバイクのライテクを特集していた
くらいですから。
ナン:
それでは所有したバイクで負けたことはなかった?
DRさん
この前お話した通り、
奥多摩で一番速かったGSX-R750だけだね。
それとバイクの性能差で勝てなかったことがある。
腕の差ではない。
同じ排気量なのに直線と立ち上がりで置いていかれる。
ちょっとくらいの差ならブレーキングとコーナリングで
詰められるけどそれができない。
悔しかったね。
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ナン:
えっ、
それはどこのバイク?
DRさん
ホンダのバイクだよ。
ホンダのバイクだよ。
一度目はホンダCBX400Fに勝てなかった。
私はカワサキZ400GPだった。
1983年頃だったね。
私はカワサキZ400GPだった。
1983年頃だったね。
箱根からの帰りのことだ。
小田原から厚木に向かう有料道路だった。
ご存じの通り、
あそこは見通しの良い直線路が延々続いている。
あまり大きな声ではいえないが、
バイクのパフォーマンスを試すには絶好の場所だった。
カワサキZ400GPは、
Z400FXからパワーアップ(+5ps:48ps)した
空冷4気筒DOHC2バルブエンジンを搭載。
従来の2本リアサスからユニトラックと呼ばれていた
モノショックを装着していた。
ワインディングでもなかなかの走りを見せてくれたよ。
Z400FXからパワーアップ(+5ps:48ps)した
空冷4気筒DOHC2バルブエンジンを搭載。
従来の2本リアサスからユニトラックと呼ばれていた
モノショックを装着していた。
ワインディングでもなかなかの走りを見せてくれたよ。
そのZ400GPの空冷4気筒エンジンだが、
トップエンドのスピードの伸びが悪かったんだ。
とくに5速から6速にシフトアップしても伸びない。
レッドゾーン近辺まで、スロットルをストッパーまで開け続けて、
なんとか+5kアップが限界だった。
そのとき複雑な思いが頭の中で交錯していた。
なんで、??????
なんで、??????
そのときだ!
友人のCBX400Fが
俺の隣をあっというまに先行してゆく。
なんなんだあの速さは、......
トップスピードでゆうに20k以上速かったと思う。
CBXが前の車に追いついたところで、
スピードが落ちるので距離がつまるけど、
車をパスするとまた先行される。
その繰り返し。
カタログのパワー表記は同じ48psなのに、
なぜ、こんなに差がつくんだ。
悔しかったよ。
やはりDOHC4バルブエンジンの威力なのかと
思い知らされたものだよ。
あんな想いは二度とごめんだ。
と思っていたんだが、.......
ナン;
なるほど。
CBX400Fはそこまで速かったんですね。
しかし、Z400GPの
マフラーを交換していたらどうでしょう?
DRさん:
それは私も考えたので、
ヨシムラサイクロンマフラーと交換したが、
ノーマルと大差なかったね。
それ以来カワサキとはご縁がないんだ。
ナン:
カワサキはその後水冷DOHC4バルブ4気筒エンジンを
搭載したGPZ400Rを発売したので、
トップスピードで遅れをとることはなかったと思います。
また、私は1989年発売のZXR400を所有していたが、
あれは尖がっていたね。
まるでレーサーのようなスタイリングだった。
速いバイクだったが、
けして乗りやすいバイクではなかった。
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Z400GPからわずか5年しか経過していないのに、
まったく違うオートバイに変貌してしまった。
そのとき普通のネーキッドスタイルのゼファー400が
デビューしたので、こっちのほうがZ400GPの
後継バイクといえるでしょう。
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ナン:
二度目は?
DRさん:
これまたホンダ。
NSR250R(MC16)だったよ。
私はアルミデルタボックスの初期型TZR250を走らせていた。
これまたホンダ。
NSR250R(MC16)だったよ。
私はアルミデルタボックスの初期型TZR250を走らせていた。
ナン:
TZR250
RZ250R(YPVS付き)の2サイクルパラレルツインエンジン
を再開発してパワーアップをはかり、
グランプリレーサーYZR500譲りのアルミデルタボックス
フレームを採用した。
1985年11月に登場した当初は向かうところ敵なしの人気と
TZR250
RZ250R(YPVS付き)の2サイクルパラレルツインエンジン
を再開発してパワーアップをはかり、
グランプリレーサーYZR500譲りのアルミデルタボックス
フレームを採用した。
1985年11月に登場した当初は向かうところ敵なしの人気と
パフォーマンスだった。
ところがそこに割った入っきたのがNSR250R(MC16:1986年11月発売)でしたね。
ところがそこに割った入っきたのがNSR250R(MC16:1986年11月発売)でしたね。
DRさん:
そうなんだよ、
多摩有料道路のストレートで追いつけないんだ。
やっぱりパワー差があったと思う。
加速が違うんだ。
そうなんだよ、
多摩有料道路のストレートで追いつけないんだ。
やっぱりパワー差があったと思う。
加速が違うんだ。
何度も言うけど、
ちょっとくらいの差ならブレーキングとコーナリングで
詰められるけどそれができない。
悔しかったね。
まっ、いまだから言うけど、
当時NSR250に負けないTZR250が走っていたんだ。
SSイシイのチャンバーと交換されていた。
そして初期型RGガンマ250。
この2台は強烈に速かった。
ナン:
えっ、初期型RGガンマ250がそんなに速かった????
DRさん
話を聞いたところ、
ツクバでレースをしているやつだった。
峠で走るレベルを越えていたね。
やはり腕の差だよ。
ナン:
フロント16インチタイヤのガンマを
そこまで乗りこなすライダーがいたんなんて
驚きですね。
それまで18インチタイヤに慣れていたベテランには、
きわめて不評でした。
こんなの乗れない。
すぐ売り飛ばしたよ。
などなど
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DRさん
そこで1987年、
クロスミッション付のFZR400Rを手に入れたんだ。
14000rpm以上まで回せるのでパワーに不足はない。
ヨコハマ・ゲッター003を履いていたので、
素晴らしく速く走れたんだ。
クロスミッション付のFZR400Rを手に入れたんだ。
14000rpm以上まで回せるのでパワーに不足はない。
ヨコハマ・ゲッター003を履いていたので、
素晴らしく速く走れたんだ。
クロスミッションはギアをアップダウンしても回転が落ちないの
がよかった。
いつもパワーバンドを維持できた。
しかし、ローはハイギアードだよ。
いつもパワーバンドを維持できた。
しかし、ローはハイギアードだよ。
このFZR400R時代が一番乗れていたかもしれないね。
ターゲットは奥多摩で一番速いGSX-R750に
なったわけだ。
なったわけだ。
いずれにしても大昔のことだよ。
いまはサーキット走行が手軽にできるので、
バイクの限界を追及したいのなら、
サーキットに行くべきだと思うよ。
やっぱり公道は危険だ。
ナン:
いやはや凄い話の数々ですね。
RZ250からはじまるレーサーレプリカ時代を
全速で駆け抜けたんですから。
例のビデオカムで撮影したオンボードカメラ映像。
今度じっくり観せてください。
また、FZR400Rの後、V型2気筒エンジンを
搭載したTZR250Rを走らせていましたよね。
その話はまた今度お聞かせください。
DRさん、
ありがとうございました。
これからもバイクライフを満喫してください。
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さて、次回はドゥカティへの想いが強くなったときに
遭遇した「Ducati 750F1モンジュイ」
のことを書いてみたいと思う。
こんなレーシングバイクを公道を走らせてもいいのか?
素人が絶対に走らせることができないバイクだった。
遭遇した「Ducati 750F1モンジュイ」
のことを書いてみたいと思う。
こんなレーシングバイクを公道を走らせてもいいのか?
素人が絶対に走らせることができないバイクだった。
DOHC4バルブでもない、
空冷Lツイン750ccバイクが、
なぜ、95psも絞り出すことができるのか?
謎のバイクだった。
それは、.......
空冷Lツイン750ccバイクが、
なぜ、95psも絞り出すことができるのか?
謎のバイクだった。
それは、.......
Ps、
NSRとFZRのこと:
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NSR250R(MC16)に搭載された2サイクル90度V型2気筒
クランクケースリードバルブエンジン(+RCバルブ)は、
その後、細部の改良を加えながら、
1998年の最終モデルまで作リ続けられた。
1986年に登場したときから、
すでに完成されたエンジンパッケージだったといえるだろう。
次々に進化していたのは電子制御とフレームワークのほうだった。
残念ながら、レーサーRS250と同じ偏角Vツインエンジン、
とインジェクション搭載モデルはついに登場しなかった。
また、NSRの2サイクル90度Vツインエンジンは
ネーキッドバイクに転用されることもなかった。
2ストのジェイドやホーネットがあったらよかったと思う。
この前仲間内での話で、
それまで紫煙を大量に吐き出すホンダの2サイクルバイクは、
NSR250の登場で大きく変わった。
そこに何があったんだろう?
というものだだった。
それまで2サイクルエンジンで遅れをとっていたホンダ。
2サイクルエンジンは、その経験が長いヤマハが一番
と言われていた。
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それが覆るのは、
やはりグランプリレースで開発されたテクノロジー(NSR500)
がダイレクトに投入されたからだろう。
フレディ・スペンサーがレースいつもオーバーレブまで回し続け
ていたこと。それでも焼付かないエンジンを開発できた。
それはメッキシリンダーの採用が1つの解決策だった。
そして電子制御キャブレターのPGMが開発されて
NSR250R(MC16)に搭載された。
1985年当時、ホンダV6ターボエンジンはF1で最強だった。
それを支えるキーテクノイロジーがPGM-FIに
よる電子制御だった。
ホンダはその分野で一番進んでいた。
PGM
それはホンダの先進テクノロジーを表す金看板だった。
そのコンピュータ制御のPGMをNSR250に移植/搭載することで、
2サイクルエンジンの遅れを挽回して
一気に突き放したことは間違いない。
2サイクルエンジンの遅れを挽回して
一気に突き放したことは間違いない。
当時、新車試乗会が開催された鈴鹿サーキットで
NSR250R(MC16)を走らせたワイン・ガードナーは、
その走りを絶賛した。
NSR250R(MC16)を走らせたワイン・ガードナーは、
その走りを絶賛した。
その進歩の度合いは88年型NSR(MC18)で
さらに加速する。
ところで、ヤマハは
なぜ、1気筒5バルブの400cc4気筒
エンジンを作らなかったのだろう?
当時からそのことが不思議だった。
個人的には
FZR400がモデルチェンジしたときに
5バルブ化されるのではないか?
と密かに期待していんんだけどね。
16000rpmまで回せるエンジンを夢見て
いたんだ。
しかし、ついに現れなかった。
しかし、いま考えると、
1気筒100cc×4気筒では、
5バルブを押し込んでもメリットが少なかった
のかもしれない。
もともとのボアが小さいので吸気効率もあまり上がらない。
また4バルブでもバルブ自体が小さく軽いので、
高回転まで回してもバルブジャンプを起こさない。
4バルブでも14000rpm以上まで回すことができた。
1気筒100cc×4気筒では、
5バルブを押し込んでもメリットが少なかった
のかもしれない。
もともとのボアが小さいので吸気効率もあまり上がらない。
また4バルブでもバルブ自体が小さく軽いので、
高回転まで回してもバルブジャンプを起こさない。
4バルブでも14000rpm以上まで回すことができた。
また、FZR600、YZF-R6に搭載の600cc4気筒エンジンも
5バルブ化されることはなかった。
いまのR1も超軽量なチタンバルブを採用することで4バルブ形式
に戻った。
1980年代後半、
ヤマハFZR400のエンジンは、
レースに使えるハイパフォーマンスなエンジンに
仕上がっていたと思う。
そこがFZR750やFZR1000と違う点だと思う。
この2台はハイスピードツアラーだったわけだ。
また、耐久レースやスーパーバイクレースに出場するバイクは、
限定車のFZR750R(OW01)が用意されていた。
車両価格は200万を超えていた。
しかし、当時の大人はこんなことを言っていた。
パワーの低いFZR750R(OW01)がなぜそんなに高価なのか
理解できない。
FZR1000は145psもあるので圧倒的に速いじゃないか。
また、OW01にFZR1000のエンジンを搭載したコラボバイク
がある。
そんな噂を聞いたことがある。
そんな噂を聞いたことがある。
まだまだバイクはパワーこそ正義だった?
1990年代前半に一番売れていたのは、
大排気量バイクはカワサキZZR1100だった。
いや、いまもそうだけどね。
しかし、200psなんて必要ないと思う。
時代は移り変わった。
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いま世界で一番売れているバイク、
アドベンチャースタイルのBMW R1200GS。
もはや、スパーパースポーツバイクは売れる商品ではなくなった。
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