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Channel: アドリア海のフラノ -SINCE 2006-
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ニュートラルステア

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ニュートラルステア
現在のMotoGPでは、タイヤをいかに使いこなす
ことができるかが勝利する要因の1つとなっている。
タイヤのパフォーマンスを引き出せるマシン作り、
レースで使用するタイヤ選びと使いこなしがポイントと
なっている。

先日のイタリアGPムジェロでは、
マルケスととロレンゾというチャンピオン同士の
サイドバイサイドの戦いに汗握った。
おもわずレーニー Vs シュワンツの戦いを想い出して
しまった。
マルケスととロレンゾのライディングスキルと
マシンパフォーマンス。
それを生かすレースタイヤが最高のレベルにあることを
示す出来ごとだった。
 

ところで、Bimotaは、1980年代から
最新のタイヤに合わせてマシンを開発してきた。
ピレリ、ミシュランと前後16インチラジアルタイヤを
共同開発した歴史がある。
そこからbimota DB1装着の前後16インチ
ワイドラジアルタイヤが生み出された。

それにより当時の日本製ビックバイクには不可能な、
「ニュートラルステア」を実現した。
ミドルクラスモーターサイクルと同様のハンドリンング
を可能にした。
それは1980年代当時画期的なことだった。
 
ヤマハFZR1000、スズキGSX-R1100.
bimotaがエンジンを流用したバイク。

私はこれらのリッターバイクの経験なしに、
SB6とYB8 Evoを所有していた。
とくにYB8は、
それまで経験してきたミドルクラスバイクと
違和感なく走らせることができた。

そして2006年頃、YB8 Evoに
ピレリ・デイアブロ・スーパーコルサストリート
を履かせて奥多摩と名栗のワインディングを
駆け抜けたき。
そのスーパーグリップに舌を巻いた。
なんて素晴らしいんだ。
路面に吸いつくようにコーナリングが出来る。
たしかに前後にマグホイール、リアオーリンズサスを装着していたが、
それだけでは実現できない。
優れたシャーシを持つYB8 Evoだから、
ピレリデイアブロ・スーパーコルサストリートを生かせた
のだと思う。



最近ネットの情報を読んで気がついたのだが、
このFZRとGSX-Rはかなり癖の強いバイクだった
ようだ。

高速領域での直進安定性を上げるため、
ハイスピード・コーナリングをしようとすると、
積極的にバイクをバンクさせる、倒しこまないとさせないと曲がらない。
中途半端なライディングでは、
曲がりきれない。

それはフロントの動きが重く自由度が低いことに
原因があったようだ。

スロットルを開けるとバイクが立とうとする。
おそらくフロントフォークは、いまの基準から考えると、
かなり寝かされていたのか?
また、装着していた前後タイヤも、
グリップよりも耐久性が重視していた。
ラジアルタイヤの性能もまだまだだった。
限られコストの中で妥協するしかなかったのだろう。

そのため、走らせるシチュエーションによりライディング
スルタイルを変えなくてはならなかった。
コーナーではバイクをインに抑え込む、
積極的にハングオンさせる必要があった。
そしてブレーキ能力の不足。
前後18インチタイヤ時代のビックバイクのハンドリング
から完全に脱却出来ていなかったのだろう。
 
そうだ、想い出した。
昔々、ガンマ400とGSX-R750を走らせた
ときのことだ。
ガンマ400は、
ちょっとしたアクションで自由自在にバイクを
コントロールすることができた。
さすがにGP500のフィロソフィーを受け継いだ
好感のもてるバイクだった。
しかし、GSX-R750の場合、
直進性はいいのだがコーナリングが「ぴりっ」としない。
そのときは、前後18インチタイヤの特性と
思っていたが、
どうもそれだけではなかったようだ。


そのとき一緒に出掛けた先輩から、
「ガンマ400のほうが乗りやすいよ」
とそんな感想を述べていた。

ままだまメーカーもビックバイクのハンドリングに
ついて試行錯誤していたのだろう。
いや、それが当たり前と思っていたのかもしれない?

そこに同じエンジンを搭載bimotaモデルが登場して、
ビックバイクに「ニュートラルステア」
のハンドリングをもたらした。
しかも、バイクはるかに軽量で最新のハイグリップタイヤを装着
していた。
量産バイクとは次元が違うハンドリング。
それほど画期的だったんだと思う。

しかし、そういうったメリットを理解していた
日本のモーターサイクル・ジャーナリストは限られていた。
その代表がライダースクラブのネモケンさんだった。
1970年代、単身ワールドグランプリに参戦して、
世界レベルの走りを目の当たりにしている。
日本のオートバイ雑誌のライターとは目線が違う。

当時のバイク雑誌のほとんどは、
見栄えの良いスタイルの高級イタリアンバイクという
認識から出るものではなかった。

1つだけ例外がある。
それはbimota DB1だ。
日本にはまったく存在しないバイクだった。

前後16インチワイドラジアルタイヤ、
ドゥカティ空冷Lツインパンタエンジン。
パイプトレリスフレーム、
フルカバードスタイリング。
そして日本のクラブマンレースで勝利した。
レースで勝つことが最高のセールスプロモーションとなり、
それがいまに続くDB1伝説となった。
エンジンパワー至上主義に一撃を加えるものだった。
 
bimota DB1は、1980年代最高の
モーターサイクルの1台だったことは間違いない



 
 
 


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