27年目の88NSR250R
いまも快調なエキゾーストサウンドを聴かせてくれる88。
まだまだ行けるだろう。
バイクは快調なのだが、
これからのことで、
ついに来るべきものがやったきた。
もうすぐ54歳。
今年3月までに早期定年退職できるが、
どうする?
そういう打診があった。
うちの会社は55歳で早期定年退職できる制度なのだが、
特別対策とやらで、
3月までに退職すれば1年繰り上げて早期定年退職扱いにしますよ。
勤続年数(31年)計算で出しますよ。
来年以降だと、
60歳(6年後)の前に辞めると割り引かれてしまう。
減額されてしまう。
自己都合退職よりもましかな。
そういう話だった。
話を聞くと、
辞めてくれ。
ではなかった。
でも、今後どうなるかはわからない。
問題なのは住宅ローンが後10年残っていること。
60歳の定年退職時のローン残高は540万+α。
その時点で売却すれば相殺できるだろう。
また、
秘密の地下格納庫のバイクの数多くを売却すれば、
なんとかなる金額かもしれない。
しかし、もう増車はできない。
これができれば東京に残れるかもしれない。
わが家は路線価計算で800万~900万くらいだ。
すでに建物の資産価値は無し。
土地だけの評価額で試算。
不動産会社に売却したときの金額(税込)、
その残りにかかる税金を支払うと、
手元に残る残金は高が知れているいるだろう。
それで福岡・太宰府に帰ることができる。
しかし、60歳からどうする?
もともと自宅購入は私が望んだことではなく、
母親のたっての希望だった。
母親は家を持つことに拘っていた。
亡くなった父親は大酒のみだったのだが、
専業主婦でありながら、
90坪(5LDK)の自宅購入を実現した人だ。
いまは遺族年金、国民年金、父親の退職金で一人暮らししている。
家のローンもなし。
緻密な人生設計というか、
いまこれをやっておくべきだろう。
という感の働く人だ。
郵便局で大金を管理していた経験が生きているのか?
昭和20年代後半のことだ。
大の1本(1億?)の定期貯金を次々に獲得したと
自慢していた。
当時福岡県大川市はござ卸/ござ製造(敷物)
で活況を呈していた。
そのためその中心にある郵便局には信じられないほどの金
が入ってきた。
窓口に座る母は、なくみなセールストークで定期貯金を
獲得した。
報奨金がよかったので、
その金で実家(柳川)の増改築をしたと自慢していた。
また、会社倒産に絡む裁判沙汰で修羅場を経験している。
もちろん証人という立場だ。
母親は30歳まで働いていた。
昭和30年代前半のことなので、
珍しいことなのでは?
長年郵便局(+会社勤め)に勤めていたが、
その後、母の兄(叔父、寺の坊主)の勧めで三浦岬で1年半ほど暮らしたが、
寺の生活が馴染めずに帰郷。
それから父と結婚して専業主婦。
その後、父親がなくなる57歳までは苦労に苦労を重ねたが、
いまは楽隠居を30年続けている。
それまではまさにジェットコースターのような人生。
母親は働いているわけではないので、
父親が酒を断っている時期に金を貯めるなど、
苦境の中であれこれ知恵を働かせた。
それでもボーナスを一晩で使われる(博多の中州)など、
子供だったが、かなり無茶なおやじに見えた。
立ち飲みの酒屋の帰り歩道で寝る。
いやはや、満州(満鉄)からの引き揚げ者で
寒さには強いとはいえ、
父には驚かされるばかりだった。
いや、恐ろしかった。
後少し生まれてくることが早かったら、
兵隊にとられて死んでいたかもしれない。
そして満州から朝鮮半島など死線を越えて身一つで日本に引き揚げてきた。
その間、人にはけして語れない地獄図をみてきた。
そして母に対する罵詈雑言の数々。
それでも大手電力会社に勤めていこと。
まじめに出社していたことかな。
父は定年退職を目前に控えた57歳でこの世を去った。
小さく痩せてしまった父を見て
悲しかった。
さて、自宅購入時、
私は、給料のすべてを飲み代に使っていたので、
預金残高はわずか5万だった。
しかし、奇跡的に自己資金なし、実家の援助なしで
自宅を購入できた。
そのとき34歳だった。
その母親はいま今年87歳、
そのことも考えておく必要がある。
幸いなことに、
妹が車で30分ほどの近隣の町に住んでいる
のでとりあえず安心なのだが、...........
また、ここ数年体調が思わしくない。
2年前に右目が眼底出血で見えなくなった。
そのとき血圧が200を超えていたので、
眼球内の末梢血管が破裂したのだろう。
目の前に白いカーテン降りた状態だった。
それから青梅総合病院眼科にてレーザー治療を行った。
目にレーザーが撃ち込まれると物凄く痛い。
それを毎回200~250発。
さすがにめげたね。
いまは見えているよ。
ラッキーだったね。
なんとか失明の危機を乗り切った。
もし、改善しなかった場合は、
あの杏林大学病院で手術する話だった。
そのほかにも成人病が改善しないし、
血圧も高めなので、
残念ながら酒は飲めない。
怖くて飲めない。
酒の付き合いは断っている。
とにかく、
いま転職するか?
いずれ母親の面倒をみるため地元に帰るか?
東京に残れるか?
そういう岐路にある。
近々、母親のご宣託を受けるつもりだ。
昔は不幸だと思っていたが、
いまは独身でよかった。
自分のことだけ考えれば、
どうにでもなる。
そういう気楽さはある。
それでもオートバイに乗りたい。
人生をかけた道楽だね。
NSR250R(88)、
切れのよいハンドリング、
鋭いエンジンレスポンス、
しかも軽量コンパクト。
それがいまにいたるまで乗り続けている理由かな?